2009年05月05日

クリスチャンと政治の関わりについての考察

私は、私の信条として、「教会と国家の関係」の立場を以下のようにとっています。

教会と国家の関係について

教会と国家の関係について、聖書は以下のように教えていると信じます

1、政府(国)を定めたのは神であり、その目的は、堕落した人間の住む社会に公正な秩序を定めるためである。   ……ローマ13:1〜7

2、政治家が、神にあって正しい政治をするように祈る。  ……1テモテ2:1〜2

3、主のみこころに反する命令には不服従の態度を取る責任がある。  ……ローマ13:4

この問題を考察するに当たって、まずすべきことは、クリスチャンが政治活動、即ち、議員や自治体の長になることを聖書は否定しているのか、否定していないのかを、聖書から読み取ることである。なぜそうしなければならないかというと、もし聖書で神様がクリスチャンが政治活動をすることを否定するということを明らかに教えているならば、政治活動自体がクリスチャンにとって証とならない悪であるということを意味するということになる。そして、その原理は、クリスチャンが全ての社会活動から手を引き、ひたすら天に行くことだけを目指して生きるカトリックの修道院の修道士のような生活をこの世ですべきだと教えることになるからである。クリスチャンは、ただ終末の日、または、天に召される日をただ待つ生活をすべきだということになるのである。

しかし、この世界は全てのものが神の主権の下にあり、政治の問題に関しても、神の主権の下にある。当然、他の働きをする時と同様、神の召しがあるならば政治の働きをクリスチャンがすることは当然であり、逆に、政治の働きへの召しが確かに神のみこころならば、それに反対することこそ、クリスチャンは恐るべきである。

これを別の言い方で言うと、政治について領域主権論の例外としてクリスチャンが関わってはならないと言う根拠はない、のである。また、他の仕事に就くのと同様に、1人のクリスチャンを神がもし政治の働きに召しているのであれば、そのクリスチャンは他の仕事に就くのと同様の態度で政治の働きに関わるべきである。何より、政治の世界に関わる人を、世界の秩序の維持の代理者としての権威が神から与えられている人ととらえ、その人たちのために祈るべきなのである。しかし、もし、政治の世界に関わる人が、神の造られた世界と、その秩序、聖書の教えに対して、明確に反対するのであれば、クリスチャンは、それらの人々の行動に対し公に反対の意志表示(信仰告白)をして警告する義務を、神に対してクリスチャンの証として負う。具体的には、天皇の存在を政治利用して戦前の日本のように国家の秩序を聖書の教えに対して間違った方向に導くようなケース(今の日本の右傾化は、明らかに、その危険性を持っている)が挙げられる。

他の問題で人が神の主権を侵害した時も同じ原則で対応すべきである。児童ポルノの規制の問題のような、人権が関係する政治問題は、まさに、今の日本の社会(日本)の秩序を破壊し、戦前の日本のような国家の秩序を今の日本に持ち込もうという動きに他ならず、そこに政治家や官僚などの利権が関わるに及んでは十戒に明確に反するのでクリスチャンはクリスチャンは、それらの人々の行動に対し公に反対の意志表示(信仰告白)をして警告する義務を、神に対してクリスチャンの証として負うのである。

posted by one_christian1961 at 22:08| 東京 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | 児童ポルノ禁止法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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